人生に悩んだら歴史を勉強しなおした方がいいと思う話

考えたこと

こんにちわ
思うように外出できない日々が続きますね。

そんな中で「なにか身に着けよう」と思って勉強する人も多いんじゃないでしょうか。
だけどなにを勉強しようか思いつかない、なにを勉強したらいいかわからないそう思う人もいると思います。

プログラミングや資格の勉強など、将来の仕事のために新しい技術を身に着ける勉強も確かに必要です。
これからはPCスキルは必須であり、避けては通れない技術でしょう。

ですが、僕のおすすめは歴史を勉強することです。
特に人生の方向性や、あり方について悩んでいる人は勉強すべきです。
これは学生時代に勉強したこととは、少し毛色の違う内容です。

人生に悩んだら歴史を勉強しなおした方がいいと思う、ということです。
歴史を勉強することの意味、理由を話していきますのでお付き合いください。


基本的に歴史は繰り返す

まず、歴史を勉強すると人間の本質は変わらないものだ、ということを理解できます。
どの時代、どの人種であっても同じような紛争は起きているのです。
食料などの資源の奪い合い、民族同士の紛争、宗教、政治多くの紛争はこれらが原因となっておきます。

そして、常に人間は自分の信じる者のために、現状をいまよりも少しでも良い状態を作るために行動してきました。
日本人は島国であるだけでなく、近年は宗教観が薄くなっているため、宗教戦争や領土戦争に対しての意識が薄いでしょう。
「なんでそれで内戦になるのかがわからない」ような人も多いのではないでしょうか。

歴史は世界史、日本史の両方を見ていくべき

そんな中で歴史を勉強していくと、人々がどのように考え、どのように行動してきたのかを知ることができます。
一か国だけを見ていては全てを把握することはできません。

世界史、日本史の両面から見ていくことで世界の流れを把握しやすくなるのです。
特に近代は国家間の関係性を把握することが特に重要になります。
ひとつの国だけを見ていては、その国の行動の背景を見ることができなくなってしまいます。
その国の政治的判断の背景に他国が関係していることは、取り立てて珍しい話ではありません。

その中でどちらか片方だけを見ていては、その関係性を見ることはとても困難なことになるでしょう。
また、先ほどのように日本にいて日本で暮らしていると、住んでいる国の考え方や習慣に囚われてしまいます。
一度信じてしまうとなかなか疑うのが難しいものです。

自分の住む国を好きでいることも、信じることも大変よいことです。
ですが、妄信するということは考え方だけではなく、自らの可能性を狭める行為であると僕は考えています。

視野を広く持ち、あらゆる視点から物事を判断するためにも、どちらか片方の歴史だけを見るのではなく両側面から俯瞰で見るのが重要ではないでしょうか


失敗の歴史からは改善する道を、成功の歴史からは勇気を得ることができる

僕は歴史を勉強するのはとても深い意味のあることだと考えています。

上でも話したように、歴史を勉強していくと人々がどのように考え、どのように行動してきたのかを知ることができます。
負の歴史を知るということは、人々が知恵を尽くして行動した結果を知るということです。
知恵を尽くし、失敗した結果は人にさらなる知恵を与えてくれるでしょう。

成功の歴史を知るということは、その時代に生きた人に勇気を与えてきた行動を知ることができます。それは今を生きる人にも勇気を与えることができるでしょう。
歴史とは過去の人々の研鑽の証なのです。

歴史的背景を知ることは今を知ることにつながる

このように、歴史を学ぶことは人々が「いまよりよいものを」と求めてきた結果を知ることができます。

それは結果が失敗であろうと、成功であろうと自らの身になるものです。
そしてそれは国家間の関係性や、時代の変化による人々の考えを知ることにつながります。

時代と共に政治の形、文化、商業人に関わる全てが発展するために変わっていきました。
歴史を学ぶ上で学校で習ったような単語を聞くことが多くあるでしょう。
しかし、「どうして当時の人々はそんな判断をしたのか」「なぜそんな判断になったのか」まで学ぶことはあまりないでしょう。

なんとなくテストや受験で必要だから覚えた、程度の人が多いのではないかと思います。
それでは理解したことにはなりませんし、身についたことにはなりません。
歴史の勉強とは、年号を覚えることでも人物名を機械的に覚えることでもありません。
当時の人々がなにを考え、どのように発展するためにどのように行動したのかどうしたら成功し、どうしたら失敗してしまったのかそれを学ぶことが、本当に歴史を勉強するということです。


学校で勉強する歴史は研究によって日々変わる

年号や人名を覚えていくことを無駄とは思いません。

ですが、学者の研究というものは日々成果を上げています。年々科学技術は進化し、歴史の解明も進んでいます。
例えば僕の時代では鎌倉幕府の創設は1192年”いい国作ろう鎌倉幕府”で覚えたものですが、いまは1185年”いい箱作ろう鎌倉幕府”で習うと聞いています。
聖徳太子も厩戸皇子として習います。

年代の測定技術や保存・鑑定の技術が発展した結果、いままで当然とされてきたことも最新の研究で容易く覆ります。
そのなかで無理矢理年号を覚えたりしても、数年後にはまったく違った常識が当たり前のように鎮座していることもあるでしょう。

受験のためだけに勉強したことは身につかない

どうしても学校で勉強することは、テストや受験に向けた者になりがちです。動機や背景を理解しないまま無理矢理詰め込むように覚えると、その弊害が起きてしまうのです。
上のように、技術の進歩によって習うことは移り変わっていくにも関わらず、その年代を詰め込んだとしても時間と共に移り変わってしまいます。
行き過ぎたブランド志向によって、良い大学、良い企業に進むことを目指すあまりに、理解したかどうかはまったく問題にしないことが多くなっています。
そのため、動機を注視するといういままでと違った発見をすることができると考えています。
行動の動機は人々の心情にとても深く関わります。当時の人間が悩んでいることも、現代に通じた考えが多く含まれているかもしれません。
それにも関わらず、記号を覚えるように年代や事件を覚えたとしても、なかなか自分の中に落とし込むことは難しいでしょう。


歴史で重要なのは年代ではなく流れ

学校で習うことは日々変わっていってしまう、忘れてしまうのはわかってもらえたのではないかと思います。
では学校でする勉強は意味がないのかというと、そういうわけではありません。

便宜的に年代などの記号的なものを覚えるようになってしまっただけで、失敗を繰り返さないために学び、今を深く理解するために学ぶことは変わりありません。
大切なのはその背景もしっかりと理解することです。
人々がなにを思い、どう考えて行動してきたのかを知る必要があると僕は考えています。

多くのことには原因があり、行動し、派生していくものです。
記号的なものを覚えるだけでは、そこを理解することができません。

歴史をひとつのストーリーのように覚えていくべきです。
「何年に誰が何を制定した」と覚えていくと、ただの暗記の繰り返しです。
ですが、「○○を解決するために誰がどうした。それは○○という法案になった」と何が起きたのか、それを解決するためになにをしてきたのかを重視してください。
それがわかると、人がどんな問題に直面してきたのか、どのような障害があったのか、どのようにして解決してきたのかを知ることができます。

先に言ったように、歴史とは失敗を繰り返さないために学び、今を深く理解するために学ぶためにあります。
過去に今直面している問題と似たようなことが起きていた、解決するための方法が過去に試されていた。
ということもあるかもしれません。

いま当たり前になっていることも変えることができる

いま当たり前になっている文化や慣習、技術も必ず変わります。何年かかるかはわかりませんが、必ず変わります。

人間は問題のある仕組みや風習を変えるために何度も戦ってきました。
興味がある、打ち壊したい文化がある方にはぜひ歴史を学んでいただきたいと思います。

人間は何度も戦ってきました。
そして商業の在り方、生活様式も何度も変革と混乱を経て変化していきました。
そうして戦う中で、過去には信じられないような技術も今は当たり前のように受け入れられました。
そうして考えたり、学んだり、行動してきた、その積み重ねでいまの発展があります。


まとめ

いかがでしょうか

社会人になってから歴史を学ぶのはとても意味のあることです。
学生の時のように受験やテストのためではない、人生の中で失敗を繰り返さないために学び、今を深く理解するために学ぶのです。

歴史の流れを学ぶと、人類の過去の失敗を知り、どのように成功してきたのかを学ぶことができます。
人生に悩んだら過去の人々が、どのように発展の道を進んできたのかを知るのも良いと思います。

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