マネジメントをするなら“ヒーロー”になることは諦めろ

考えたこと

こんにちわ

今回は「マネジメント」について考えてみました。
僕の結論としては「マネジメントをするなら“ヒーロー”になることは諦めろ」ということです。

僕は飲食業で13年と働いてそれなりに人を率いる、マネジメントするという立場にいました。
その中でいろいろな壁にぶち当たってきました。

「どうやったら売上はあがるだろうか…」「どうすれば自分の言うことをわかってもらえるだろうか」
と考えては試し、失敗し、また考えては試しを繰り返しました。

そんな中で勉強したことも含めて話してみたいと思います。
ちょっとだけお付き合いください


マネジメントって?

そもそもマネジメントを行うにあたっていったい何を求められているのでしょうか。
もちろん企業で働いている以上は「売上を上げる」ということは大前提としてあります。

では「売上を上げる」ということにマネジメントはどう関わってくるのでしょう。
それは「企業という“組織”を正常に機能させる」ということです。

個人は企業に対して「与えられた仕事を行う」ことや、「設定した目標を達成する」ということで「自己実現」という形で還元します。
企業はそれに対して「給料」「自己実現」を叶える機会、それを可能にする「地位」などを与えて雇用という形で還元します。

さらに企業は生活を便利にするなど自社が行う事業で社会に対して貢献していきます。

社会は企業に対し発言や表現の自由、存続、発展という形を与えていくというのが社会の仕組みとしてあります。
社会に企業が存続し、発展していくことで個人を雇用し、個人が自己実現を叶えることでさらに企業が成長し、社会に対して貢献する機会を得るということです。

これは「資本主義」という社会の中で国(社会)、企業、個人が発展していくための仕組みです。
マネジメントとは企業が個人に対して「自己実現」を叶いやすくするために行うものなのです。

マネジメントはインターネットの普及で変わった

現代は2000年以前からのインターネットの普及により、さらにマネジメントの難易度が上がっていると言われています。

まずマネジメントとは企業の収益の確保をモラルを持って行うことが軸としてあります。
中でも、教育管理が1番悩むところだと思います。
それがインターネットの隆盛により形が変わってきました。

昭和以前の高度経済成長期と呼ばれている時代では、人も機械的に管理することが最も効率がよい時代でした。
ひたすら反復するように大量生産を行う、ということがその時代には必要でした。

しかし、インターネット技術、機械が発達した現代はそのような働き方は全て機械ができるようになりました。
環境の変化と共にマネジメントに求められることが増えたのです。
機械ではできないことを人が求められるようになったということですね。

ただ工程管理などをすればよかった管理職は自らも、機械ではできないことを並行して行う必要がでてきました。

特に教育の部分ではただの作業を教えていればよかっただけなのが、インターネットによって個人が簡単に、広範囲に情報を発信できるためコンプライアンス社会モラルを教育することが必須となりました。

また、広範囲から情報を集めることができるようになったため、これまでトップダウンで行うことができた理念の共有も難しくなりました。
それまで常識とされてきた働き方が否定される機会が増えたのです。

いままでは会社の決まり事や行っていることが、社会の常識であるかのように教えることで、一種のマインドコントロール下に置くことが可能でした。
それが、外部から情報を用意に取得することができるようになったせいで難しくなったということです。

そして社外秘とされる情報の漏洩にまで気を割かなければならないようになりました。

こういった背景からこれまでと同じマネジメントの仕方では、逆に効率が悪くなってしまうようになりました。
そしてマネジメントの難易度が上がり、部下と上司の板挟みの状態から管理職と呼ばれるポジションを避ける人も多くなりました。

終身雇用制の崩壊などの側面もあり、若い世代の間で「出世をする」ことへの憧れがなくなってきたことも背景にあるでしょう。

これまでの会社に対しての忠誠心を持つことが一般的な考え方ではなくなったのです。


あなたはヒーローなんかじゃない

ではそんな背景があり、より複雑になったマネジメントを改善するためには一体なにを行えばいいのでしょうか。
まずは全体の業務を円滑に行うための教育をすることに全力を注ぐべきです。

一部の能力が高い人間にありがちなことなのですが、「人に任せるよりも自分でやった方がクオリティも高いしスピードもある」という考えに陥ってしまうことがあります。

入社から努力を重ね、自分の成績を上げることで出世したような人間には特に多いです。
「自分の考え方はこうで、それをすることで出世したんだから全員それをやればいいだけだろ」的なことですね。
ここまでのことを実際に口に出す人間なんていないとは思いますが、こんな人間は意外と多いと思います。

確かに、ひとつの業務を行うことだけを考えたその方が早いでしょう。
ですが、全体の業務を考えたらそれは最善ではありません

結局業務に偏りが出ることで全体のレベルはいつまでたってもあがることはないでしょう。

さらにひとつの業務を行なっているときに、また業務を渡されることもあるでしょう。
それを次々にひとりの人間が抱え込んでしまう。

そうすると結果的にはどうなるでしょうか?
簡単なことです。

パンクします。

マネジメントする上でヒロイック精神は捨てるべき

ひとりの人間が一度に行えることには限りがあり、体力にも限界があります。
「自分がやったほうが早い」なんてものは過信に過ぎないのです。
ヒロイック的な考えはいますぐ捨ててください。

マネジメントを行う立場の人間は全体の業務を円滑に行うための教育を行うことを第一にすべきであり、自分が活躍することなど考えなくていいのです。

どんどん人に仕事を渡していく、やり方がわからなければ教える。
そうすれば全体のレベルはいつのまにか上がっているものなんです。

会社は「あなた個人が活躍した結果」よりも、「あなたを含んだチーム全体が活躍した結果」の方が重きを置くでしょう。

なぜなら、個人で行える業務には限界があるため、何人ものチームで取り組んだ方が、全体の作業量が多いからです。


“叱る”と“怒る”は違わない

そして教育を行うにあたり、よく言われているのが「“叱る”と“怒る”は本当は違う。それがわからないうちはダメだ」ということです。
僕はすごく正直に言ってしまうとこのような文言が嫌いです。

僕が思うのは「教育する際に、“怒る”メリット・デメリットと、“褒める”メリット・デメリットを理解しておくべきだ」ということです。

前者の意見を信じている人は辞書を引いてみてください。
同じ意味なんです。
言葉遊びに時間を費やすぐらいならば、ひとつでも多く実践して失敗したら改善をすることの方がよっぽど有益です。

教育をするにあたって「怒る、叱る」ということは絶対に必要です。
なぜなら、チームで作業を行う際に規律というものは絶対に必要だと考えているからです。

ここでいう「怒る、叱る」とは怒鳴るだとか、威圧するということを必要だと言っているのではありません。
間違ったことがあれば正す、モラルに反するならば指導するということです。

最近は「怒る、叱る」ということをできない人が増えています。

「怒る、叱る」ことで部下や後輩から反感され、自分の言うことを聞かなくなってしまう、もしかしたらやめてしまうかも、パワハラで訴えられるかもしれないということが怖くてそうなってしまうのです。
逆に「褒める」ことが重要視されている傾向が強くなってきています。

本来それは「怒る」ことをするなという意味ではないと思っています。
ですが「怒らない」ことがなぜか正解かのように語られていると違和感を持ってしまいます。

僕は「褒める」ことと「怒る」ことは両方兼ね備えなければならない技術だと思います。
嫌われたくない、という「自己保身」から人は「怒らない」という選択肢を取ってしまったのだとさえ考えています。
「褒める」こともすべきですし「怒る」こともすべきだと考えています。

僕は教育する際に、“怒る”メリット・デメリットと“褒める”メリット・デメリットを理解しておくべきだと考えています。

マネジメントには怒ると褒める両方必要

「怒る」と「褒める」のメリット、デメリットを確認してみましょう

怒る
メリット
・重要度が伝わりやすい
・スピード感が出る
・規律が作りやすい
・緊張感を持たせることができる

デメリット
・相手を萎縮させやすい
・話しかけづらい空気になりやすい
・主体性を持たせづらい
・場面を選ぶため扱いにくい

褒める
メリット
・緊張を解せる
・成功体験を作れる
・話しやすい関係を作れる
・主体性を持たせやすい

デメリット
・規律が作りづらい
・スピード感が出ない
・緊張感がなくなりやすい
・慢心しやすい

どうでしょうか
僕はどんな行為にも、必ずメリット・デメリットの側面があると考えています。

例えばですが、工事現場で高所作業を行う際を想像してください。
10階建の建物を作るときに足場を組むと思います。
壁面作業をする際に必ず命綱をするはずです。
そのとき部下が命綱を間違って結んでいたり、下の確認作業をしなかったり、高所作業を行う際に必ずするべきことをおろそかにしたとします。

その際に「怒らない」という選択肢は出るでしょうか?

緊急性の高い事柄を前にすると「怒らないように」など自己保身からくる考えはでないはずです。
そのときには重要度が伝わりやすく、スピード感のある「怒る」という技術はとても役に立つのです。

大切なのは「怒る」「褒める」ということの意味ではありません。
ましてや言葉遊びをしてわかったようなフリをすることでもありません。

大切なのは「怒る」「褒める」ということのメリット、デメリットをしっかり把握することです。
そしてそれを適切なタイミングに使うことのできるように“技術”として学ぶことです。


マネジメントは結局量が全て

ここまでで「全体の業務を円滑に行うための教育」がマネジメントには必要で、「教育する際に、“怒る”メリット・デメリットと“褒める”メリット・デメリットを理解しておくべきだ」という話をしました。

ではそれを行う上でどうすればクオリティが上がっていくでしょうか
答えはひとつです。
「結局量が全て」なんです。

ちょっと考えてみてください。

あなたは業務を行う上で部下とちゃんと話し合いをしましたか?
あなたの部下は業務の本質や意味をちゃんと理解できていますか?
あなたの部下はその業務を行った結果を理解して行動していますか?
「結局量が全て」と言いましたが、あなたは部下や後輩が業務を円滑に行うことができるようにしっかりとした話し合いをできていますか?
話し合いということの「量」はどのくらいですか?

しっかりと理解できるようになるまでの話し合いの回数は人によって必要な量が変わります。
一回言えば理解できる人もいますし、こちらの意図をすぐに理解できる人もいるでしょう。

ですが、人によって理解できるスピードが違う以上、ときには何回も説明しなければいけないと思います。
しっかりとした説明、教育をできているでしょうか
なんとなく説明して、なんとなく理解している気で、相手がこちらの意図を読み取る努力をして待っていませんか?

相手が理解できていない状態で業務を行ったときのことなど簡単に想像できると思います。

散々な結果になるでしょう。

ひとつの業務をちゃんと理解して行う。
それを積み上げて行かない限りはクオリティなど上がらないのです。

そうやって相手に理解してもらう教育の回数を重ねた結果、あなたのマネジメントのクオリティも叙々にあがっていくはずです。

そして部下が成長した結果、あなたが自分の作業をする時間が増えるでしょう。
その結果チーム全体の作業量やスピードは各段に上がっていくでしょう。

作業の「量」
理解するための会話の「量」
繰り返し改善していった「量」

これを積み重ねていった結果クオリティが上がるのです。
それが教育だと思います。

そして必要なタイミングで「怒る」と「叱る」を使い分けて「教育」をさらに積み重ねていくのです。
それがマネジメントに絶対必要なことなのです。


 

まとめ

いかがでしょうか
「マネジメントをするなら“ヒーロー”になることは諦めろ」伝わったでしょうか

マネジメントに必要なのはあなたが絶対的なヒーローのように活躍することではありません。

必要なのは「全体の業務を円滑に行うための教育」であり、「怒る」と「叱る」を使い分けて、「教育」の量を増やしていく。
それが僕の思うマネジメントです。

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