【開国】戦国の世から現代へと、文化は変わった【新たな学問】

学んだこと

前々回までは主に中国文化仏教の影響を受けて日本の文化はどのように変わってきたのか、ということをお話ししてきました。
そして前回でとうとう南蛮貿易、つまり西洋文化が襲来します。

これによって日本文化は現代へと一気に近づいていきます。

西洋諸国、主にポルトガルスペインは必要に迫られて海へと冒険に出ました。
それは、オスマン帝国に対抗するためにも絶対に必要なことでした。

世界は大航海時代を迎えます。
大航海時代によって地球は本当に球体である、ということの証明新しい航路に大陸の発見など、いままで信じられてきた常識を覆す発見がされました。


様々な要因があり、西洋文化は日本にたどり着いた

様々な要因が絡み合うことで、日本は西洋諸国と貿易を開始しました。
その結果生糸、絹織物、金、陶磁器、硝石、生薬、砂糖、香辛料、カボチャ、スイカ、とうもろこし、じゃがいも、パン、カステラ、タバコ、地球儀、めがね、軍鶏が輸入されました。

またこの頃から牛、豚、鶏が来航者のために養殖されはじめました。
この時に伝来したもので日本に対して大きな影響を与えたのは、キリスト教西洋学問のふたつです。
特に西洋の学問は日本に衝撃を与えました。

戦国時代と呼ばれる1500年代まで日本にとって異国というと、現代の中国や韓国ぐらいのものでした。
比較的距離も近く、見た目もそれほど大きく変わりません。
西洋の、はるか遠くの、見た目もまるで違う文化の伝来は、これまでのものよりも大きな衝撃を与えたことは想像に難くありません。

当時の西洋は船も大きく、その形状もまったく違うものでした。
遥かに進んだその技術は脅威以外のなにものでもありませんでした。

当時の宗教の力は圧倒的だった

日本での仏教の力が圧倒的に大きなものであったように、西洋ではキリスト教が、そしてイスラム教の力影響力は圧倒的なものでした。

スペインとポルトガルはヨーロッパの一番端に位置する国です。
そのため、すぐ近くのオスマン帝国の力は脅威でした。

オスマン帝国は多民族多宗教国家でしたが、始まりはイスラム教でした。
これまで貿易によって友好的な関係を築いてきましたが、いつ侵略されるか、という不安を拭うことはできません。
現にオスマン帝国は侵略によって広大な国土を持ってきた歴史があります。

違った教えを信じる強力な国、しかもその国がいつ侵略してくるかわからないそれに対抗するには、経済的な成長とキリスト教の布教をすることでの戦力の強化が必要でした。
しかし、それにはあまりにも大きな危険を伴いました。
何人もの、何十人もの犠牲を払い、西洋諸国は大きな一歩を踏み出したのです。


キリスト教と西洋学問は日本を大きく変えた

こうした理由から西洋諸国は日本にやってきました。
そして様々な影響を与え、様々な変化を起こしてきました。

上でもお話ししたようにキリスト教の布教によるものがとても大きいものです。
【仏教】新しい文化の伝来は既存の文化を変える【古代日本から現代へ】でお話しした、食肉禁止令はキリスト教の伝来によってなくなった、と言っても過言ではないかもしれません。

キリスト教を日本に伝えたのは、皆さんご存じのフランシスコ・ザビエルです。
そのザビエルの布教活動は現在の鹿児島市から始まります。

人の往来と交流があれば文化が伝わるのは当たり前ですよね。
フランシスコ・ザビエルの宣教師団は、キリスト教と共に、当時の西洋文化を広めるきっかけにもなったのです。

ザビエルは日本の文化を尊重する人間でした。
もともといた僧侶たちの食生活を真似し、食肉はしませんでした。
そして、親しみを持って日本人に接し、薩摩国守護大名の島津貴久から宣教の許可を得ます。
それによって日本でキリスト教徒が活動する基盤を作りだしました。

ザビエルは実際にいろいろな西洋文化を広めはしませんでしたが、西洋文化の流入のきっかけになった人物ということですね。

実際に西洋文化を広めたのはザビエル以後の宣教師

ザビエル以降の宣教師たちは信者に肉食を勧めていたようです。
主に牛肉を勧められることが多かったようで、当時の医学書は日用食性には獣肉を汁、煮物、膾、ほし肉として食べることでいろいろな病気が治ると書いてあります。

まったく考え方の違うキリスト教を最も強く弾圧したのは豊臣秀吉ですね。
秀吉は宣教師に対して「牛とか馬を売買したり、食べたりするのはホント良くないことだから!!」的なことを問い詰めています。
ガスパール・コエリョという宣教師は「いやいや、ポルトガル人は牛は食べるけど馬は食べないです!!」と言っています。

これはザビエルが布教を始めたときから、約40年後のことです。
このことからわかるのは、仏教の考え方の「食肉は穢れである」との考えは強く、広く日本に広まっていました。

しかし、その考えにそぐわない「牛馬を食べる」行為が民衆の間では広まっていた、ってことですね。
全国に及ぶ波ではなかったのかもしれませんが、時の権力者である豊臣秀吉が問題視するレベルであり、その文化を広めるきっかけである宣教師を問い詰めるまでには広まっていたということですね。

もちろん公然と市場に出回っていたとは思えません。
やはり当時の日本での仏教の力はとても大きいもので、公然と店に出したら大変なことになっていたでしょう。


そもそもなぜ日本でキリスト教が受け入れられた理由は?

上にも書きましたが、日本に対して大きな影響を与えたのは、キリスト教西洋学問のふたつです。
キリスト教はそれまで仏教が主体となっていた日本の文化に対して一石を投じました。
ですが、全く新しい文化に対して一切の抵抗なく受け入れられたとは思えません。

確かに豊臣秀吉がキリスト教を弾圧はしました。
織田信長も一度キリスト教を認めたものの、次第に弾圧する方向に向かいました。

ではなぜ、キリスト教は「一度認められる→弾圧→再度認められる」という流れになったのでしょうか
歴史的資料も少ない問題ではあるのですが、一度その理由を考えてみましょう。

まずひとつは「これまでにはなかった新しい知識や技術とともに伝えられたから」がもっともらしい答えのひとつではないでしょうか?
そうです。
西洋学問がここで出てきます。

当時日本に入ってきた西洋学問は、神学、哲学、ラテン語、音楽や絵画などの芸術、天文学、暦学や数学、地質学などがあります。
また学問以外でも鉄砲などの技術、航海術、造船技術も同時に伝わっています。

どれも当時の日本からしたら全く新しい技術でした。
どの分野も日本の歴史に大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。

「キリスト教弾圧!!日本を封鎖して外からの悪影響を受けないようにするぞ!!」と、サン=フェリペ号事件島原の乱をきっかけにキリスト教への圧力を強め、日本が鎖国をしたことは周知の通りだと思います。

ですが、日本は「鎖国をし、諸外国との交流を絶った」とは言っても、オランダや中国との貿易は続けています。
2国がキリスト教の布教をしなかった国だった、というのもあるでしょうが、「諸外国から日本にやってくる技術は当時とても有益なものだった」ということは間違いないでしょう
「キリスト教はひとつの学問や技術であり、それを認めることが他の技術を享受することができる」と考えて受け入れたとすれば、疑問は消えます。

上にあげたふたつの事件さえなければ、日本は鎖国することもなく、もしかしたらキリスト教は日本でもっと大きな影響力を持っていたのかもしれません。

もうひとつの理由は「戦乱が続く中で人々には救いが必要だった」ということではないかと考えます。

鎌倉時代にも法然親鸞一遍日蓮栄西道元などによる、これまでと全く違った仏教の形が民衆の間で大流行しました。
それまでの仏教は奈良時代の道鏡のような腐敗したものだったり、もしくは密教としての色が強く、「厳しい修行をすることで孝徳を積み、悟りを開く」ことを目的としたとても厳格なもの、というようなものでした。

そのため、一部の権力者やお金持ちしか恩恵を受けることのできないものでした。
そもそも厳しい修行をすること自体が庶民には難しいかったのです。
そこで鎌倉時代では民衆も救われるべきだ、と上記の6人をはじめとした様々な宗派が起こり、爆発的に広まりました。

そのときと同じことがキリスト教でも起こったのではないでしょうか。
いくら民衆に対して教えを説き、救われる、悟りを開けるとしても、飢餓や戦乱によって人が死んでいく。
そのような乱れた世の中で生きている人間たちが、とても救われるとは思えない、と考えてしまったとしても不思議はありません。

そこに「神はすべてを愛す」とし、自分たちを救ってくれるかもしれない、と考えたとしたならば宗教の力の強かった時代に普及しても不思議はないでしょう。


続きます。

タイトルとURLをコピーしました