仏教と和食の歴史の振り返り
食肉禁止令は現代の和食のあり方を生むきっかけとなりました。
全く食べていなかったわけではありませんが、狩猟することで支えられていた食生活を魚や大豆製品へ移行することで、仏教の教えを守りながらも満足できる食事を取ることが可能になっていきました。
平安時代では鎮護国家の考えのもと、仏教を使って平和な国を作っていくことを目指していた当時の日本では、仏教の教えに背く行為は許されなかったのです。
鎌倉時代に入っても蒙古の襲来や平安時代から続く安定しない内政によって、常に国内の情勢は不安定でした。
鎮護国家とは、仏教を信じ、その教えの通りにすれば国を救うことができるとする考え方です。
仏教で国を救うことができると考えられていたため、当時の僧侶たちの発言力はかなり大きかったようです。
前回もお話しましたが、道鏡のように天皇などの国のトップに移り変わろうとする僧侶も少なからずいました。
仏教は国を救うと考えてはいましたが、仏教の変化に疑問を持つ人間も少なくありませんでした。
また新しい文化が中国から輸入された
そこで最澄や空海がまた中国へ仏教の勉強のために渡って行きました。
「僧侶は修行し、悟りを開くために行動すべき」とし、食事をも修行とする精進料理を持ち帰りました。
その際に一緒に輸入されたのが茶の湯や食品の新しい加工技術です。
茶の湯は茶道をもっと簡略化したものだと考えて良いものです。
湯を沸かし、皆でそれを飲むといった行為のことですね。
茶の湯の伝来までは儀式的な料理、もてなすための料理は大饗料理と呼ばれ、皇族などの一部の貴族に振る舞われる料理だったもので儀式食の意味合いが強いものでした。
だいきょう料理もしくは、おおあえ料理と読みます。
(iPhoneなどの変換ではおおあえで変換できます。)
大饗料理は中国の満漢全席のように、テーブルの上に順番にたくさんの料理を並べて行きます。
その際に少しでも珍しいものを並べる傾向にありました。
珍しいものを食べることで貴族としての権威を見せていたわけです。
詳細は謎なところが多いのですが、野菜よりも肉が並ぶことが多かったようです。
この時から「いかに美しく料理を盛り付け、並べていくか」と美意識の強い料理になって行きました。
「ご飯茶碗は左、汁物は右」などの今も残るルールのようなものも、この時から次第に作られてきました。
茶の湯の伝来の後、「もてなす、儀式的なもの」の意味合いが強かった大饗料理は次第に、「食事を取る」ということ自体の儀式的な意味を持った本膳料理へと変わって行きました。
儀式のために用意される食事から、食事自体が目的となった訳です。
精進料理と本膳料理の違いは、精進料理は自らを高める修行のための意味合いが強いもの、本膳料理は食事を取ること自体をひとつの儀式とし、儀礼的な意味を持つものという違いがあります。
本膳料理は懐石(会席)料理にも強く影響を与えました。
大饗料理は儀式の際に食べられるもので、一つの料理が出される度に能などの芸能が演じられました。
しかし、本膳料理は食事をすること自体が目的のため、食事開始→ある程度食事が進んだら能や狂言が行われる→その際にさらに軽食類が出されるといった順序で進んでいきました。
軽食が出た際に酒が振る舞われ、酒宴へとつながったようです。
現在の冠婚葬祭に本膳料理の面影が少し残っています。
提供の仕方にもルールがありますが、そういったものを見ることができるます。
婚礼の三三九度などはその時の名残なので、「あれが本膳料理か…」と一度注意してみると面白いですね。
本膳料理の儀式的な意味合いがどのように考えられていたのかを知ることができるでしょう。
茶の湯がもたらしたもの
茶の湯はのちに千利休よって茶道と呼ばれるようになりました。
茶の湯は食事自体を儀式とする本膳料理の成立を助けました。
本膳料理は茶の湯の進化に合わせるかのようにまた姿を変えます。
まず利休は本膳料理の際に出される酒は、茶を楽しむ時には必要ないとし排除しました。
そのため、茶を楽しむ前にある程度腹を満たすために、会席料理を出すことにしました。
決して甘美なものではなく、「旬の食材を使うこと」「素材の持ち味を活かすこと」「客人をもてなすため心配りをすること」を原則とし、一汁三菜を基本としました。
利休は茶道にとって大切な考えである、一期一会を大切にした食事をすることで、よりその考えを深めようとしていきました。
茶道は禅宗との繋がりがとても強く、会席料理は次第に懐石料理と名前を変えていきました。
修行僧が修行の際に空腹時、温めた石を懐に入れることで一時的に凌いでいた様子から懐石の字が当てられるようになりました。
元々の会席料理は懐石料理へと名前を変え、会席料理は「人が集まった時に食べるもの」となり、酒を含めた食事へと形を変えていきます。
会席料理は現代で言う宴会料理になった訳です。
続きます。