【キリスト教】カトリックとプロテスタント、宣教師たちの頑張り【弾圧】

学んだこと

現代のキリスト教はクリスマス、あっても結婚式ぐらいが一般に普及しているぐらいでしょう。

しかし、キリスト教が伝えられた当初は、人々に混乱と大きな変革を与えていきました。
前回もお話ししましたが、西洋文化の伝来です。

西洋科学が伝わる中でそれまでの日本の文化を支えてきた中国文化、日本土着の文化も大きな転換点を迎えることになりました。
仏教による食肉禁止令が否定され始め、仏教の力を持ってしても休まらなかった人々の心に新たに新しく信じるものができました。
これにより人々の暮らしは大きく変わっていきます。


天ぷら、カステラ、金平糖などはこのときに伝わった

いまとなっては日本のイメージの強いお菓子も、室町時代から江戸時代にかけて輸入しました。
それまで砂糖は一部の貴族などの金持ちのや権力者の間で楽しまれるものであり、庶民が口にすることは滅多にありませんでした。

江戸時代の初期に琉球で黒糖が製造されるようになるまでは、日本産の砂糖はなく、輸入に頼り切っていました。
また、このころ砂糖は薬の一部のような扱いでした。
天ぷらは江戸時代には江戸の三味として江戸の郷土料理として親しまれました。

キリスト教が伝来した当初は、オスマン帝国の脅威に対抗するために早く海に出たポルトガルの影響を強く受けます。

そのため、当時から残る文化はポルトガルから伝えられた起源を持つものがすごく多いんですね。


キリスト教はなぜ広まり、なぜ弾圧されたのか

戦国時代にはフランシスコ・ザビエルで有名なイエズス会によってキリスト教は広まっていきました。
なぜ弾圧される前のキリスト教は人々に受け入れられていったのでしょうか

それは【開国】戦国の世から現代へと、文化は変わった【新たな学問】でもお話ししましたが、一番の理由は厳しい生活の中で人々は新しいよりどころが必要だったからだと考えています。
ですが、ある程度それまでの教えに対して疑問を持っている人に如何に素晴らしいことを説いたとしても、あまりにも長く言い伝えられたことを捨ててまですぐに考えを改めることはできるでしょうか?

なぜ人々は違和感なく、新しい考えを取り入れることができたのでしょうか
それは簡単に言うと、宣教者たちが日本とより友好関係になろうとしたからです。
これにはいろいろと裏の思惑もあったはずなので、仲良く、というニュアンスではありません。

キリスト教を布教するには、日本に適応すること、日本人と友好な関係を作ることは必要なことでした。
宗教観、生活様式など日本のことを研究していって初めて、自分たちの目的であるキリスト教の布教はようやく叶うのです。。

キリスト教が日本に適応し、日本の文化を利用したことがわかる例としてマリア観音像があります。
本来キリスト教、特にプロテスタントやピューリタンと呼ばれる清教徒(特に純粋なキリストの教えを信じるプロテスタントたち)の間では偶像崇拝はされません。
しかし、仏教やカトリックの間では偶像崇拝はされています。
さらに、キリスト教のは一神教であるため、本来であれば異教を認めることはありません。

ですが、宣教師たちは自らの目的を達成させることを絶対とし、キリスト教を土着の宗教と意図的に合体させることで、キリスト教自体を土着化させたのです。
日本人が欲していたものを、宣教師たちが信じやすいように身近なものに近づける、そうしたプロセスを経たことでキリスト教は爆発的に日本で広まっていったのです。

なぜキリスト教は弾圧されたのか

ものすごく簡単に言ってしまうと、宣教師たちが調子に乗った上に頑張りすぎたからです。
豊臣政権時にもキリスト教は一度禁止されましたが、貿易での利益があまりにも大きかったため、表面上の禁止令でしかなく、実際には禁止はされているけど黙認状態となっていました。

豊臣から徳川に代わってもそれは変わりませんでした。
しかし、時代が変わるとともに宣教師たちの行動も変わっていきました。
これまでは布教するために各地の大名や有力者たちに許可を取ったり、周辺住民や文化を理解する行動をとっていましたが、次第に幕府の支配下に置かれることを拒否した上で、さらに活発に活動をしていったのです。

それまでは穏便に友好関係を築くことで徐々に布教活動を進めたことで、一時は人口の4%の教徒を得ることができていました。
ですが、ここから一気にキリスト教は弾圧されてしまったのです。

なぜ権力者たちはキリスト教を監視下に置こうとしたのか

豊臣秀吉がキリスト教を制限しようとした理由は諸説あります。
ですが、幕府がキリスト教を弾圧しようとしたのは一重にこれ以上キリスト教が力を持たないようにするためでしょう。
当時の人口の4%を占めるほどに、キリスト教は信者の数を増やしていたのです。

人口の4%と書くと少なく感じるかもしれませんが、当時の日本の人口は2000万人ほどとされており、その4%は80万人になります。
(人口の調査は1721年に初めて行われたので推定値になります。
1600年代の人口に関しては諸説あります。)

キリスト教と密接につながった大名も複数いる中で、それほど急激に信者を増やしたキリスト教各地に直轄地を置き、参勤交代など様々な政策を使って力を盤石なものとし、それ以外の力を削ごうとした幕府この二つが相容れることがないのは想像に難くないでしょう。


鎖国とキリスト教の弾圧

キリスト教の弾圧と共に、諸外国の排斥がされました。
鎖国ですね。

学校の歴史の授業をちゃんと出ていた人なら、ここでひとつ疑問が生まれると思います。
鎖国って言っても出島でオランダと貿易してたよね?オランダってキリスト教圏じゃないの?」
そうです。
キリスト教を弾圧したとしても、キリスト教圏であるオランダとはまだ貿易をしていたんですね。

なぜオランダとは貿易を続けていたんでしょうか。
それはオランダがキリスト教の布教よりも、貿易による利益を優先したからです。
「ボクはキリスト教広めないよー。もの売るだけだよー。だからいいよね?日本が嫌なのはキリスト教だけだもんね」
ってことですね。

なぜオランダはスペイン、ポルトガルと目的が違ったのか

それはオランダはプロテスタント、スペイン、ポルトガルはカトリックであるからです。
スペイン、ポルトガルはイスラム色の強いオスマン帝国の脅威に対抗するために日本へとたどり着きました。
しかし、今度は宗教改革によってスペイン、ポルトガルのようなカトリックたちは、プロテスタントという新たな脅威に立ち向かうことになったのです。

カトリックたちが熱心に地盤を固め、信者を増やそうとしていたのはプロテスタントに対抗するためだったんです。
ですが、プロテスタントは新興勢力のため、これから力をつけるための資金が必要でした。
そのためオランダとスペイン、ポルトガルではそもそも目的が違ったんですね。


続きます。

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